うつ病
第1章:うつ病の症状
うつ病とは?
うつ病(大うつ病性障害)は、病的な気分の落ち込みや興味・喜びの喪失が持続する精神疾患です。誰でも一時的に憂うつな気分になることはありますが、うつ病ではその状態が少なくとも2週間以上ほぼ毎日続き、本人の生活に大きな支障をきたします。うつ病になると物事の見方も悲観的・否定的になりがちで、日常の楽しみすら感じられなくなります。これは一時的な「気分の落ち込み」ではなく、脳の働きに不調が生じている状態です。心のエネルギーが著しく低下した状態ともいえます。「脳機能の不調」「こころの病気」であるため、本人の意思や努力だけでは改善が難しいです。適切な治療とサポートを受けることで改善が可能なことが多く、早めの治療開始が重要です。
うつ病の症状
うつ病では精神的な症状と身体的な症状の両面が現れることで日常生活に影響を及ぼします。下記の症状がほぼ毎日、ほとんど一日中持続し、少なくとも2週間続きます。
精神症状(こころの症状)
- 抑うつ気分:一日中沈んだ気持ちや悲しみが続きます。ちょっとしたことでも憂うつになりやすいです。
- 興味・喜びの喪失:以前は楽しかった活動や趣味などにも興味がわかず、楽しめなくなります。
- 気力の減退:意欲、やる気が低下し、活動性が下がります。
- 無価値観、罪責感:自己評価が著しく低下し、自分を過度に責めたり、価値がないと感じたりします。必要以上に罪悪感を抱くこともあります。
- 絶望感:将来に希望が持てず、「良くならないのでは」という絶望的な感覚にとらわれます。
- 不安・焦燥:理由のない不安感に襲われたり、落ち着かず焦りを感じたりすることがあります。イライラしやすくなるケースもあります。
- 思考力・集中力の低下:考えがまとまらず集中できない、決断が困難になる、些細なミスが増えるなどの症状が現れます。
- 死についての反復思考:生きている意味がない、消えてしまいたいと感じたり、希死念慮(きしねんりょ:自殺を考えること)が現れる場合があります。
身体症状(からだの症状)
- 睡眠障害:夜眠れない(不眠)または逆に眠りすぎてしまう(過眠)などの睡眠の乱れが生じます。朝早く目が覚めてしまう早朝覚醒もよくみられます。
- 食欲の変化:食欲が低下し食事が喉を通らなくなる、あるいは過食気味になることがあり、それに伴い体重減少または増加が起こります。
- 倦怠感・疲労感:体のだるさが続き、十分休んでも疲労感が取れず、少し動くだけでも極度に疲れを感じます。
- その他の身体症状:頭痛やめまい、動悸、息苦しさ、胃腸の不調(胃もたれや便秘、下痢)など身体各所に不調が現れることもあります。これら身体症状が前面に出るケースもあります。
日常生活への影響
うつ病の症状は仕事や学業、家庭生活、人間関係などあらゆる面に影響します。例えば集中力や判断力の低下から業務ミスや能率低下が起こったり、気力の低下から欠勤が増えることがあります。家事や育児など日常の役割をこなせなくなったり、対人関係でも人と会うのがおっくうになり,引きこもりがちになることも少なくありません。重症の場合、身だしなみや清潔など自分の身の回りのことすら手が付けられなくなることもあります。こうした社会生活上の機能障害はうつ病の重要な特徴であり、本人のみならず周囲の人々の生活にも影響を及ぼします。
他の疾患との鑑別
うつ病の診断では、他の精神疾患や身体疾患との鑑別も欠かせません。
双極性感情障害(躁うつ病)
精神疾患の中で特に鑑別が重要なのが双極性感情障害(躁うつ病)です。双極性障害ではうつ状態に加えて躁状態(気分が高揚し活動的になる状態)を経験する点でうつ病とは異なりますが、躁状態が目立たないパターンや治療開始後に初めて躁状態が出現する場合もあり、初めての受診の際には診断が難しいことがあります。
また、身体の病気の中にはうつ病に似た症状を引き起こすものがあります。いくつか例を挙げますが、うつ病と治療法が異なり身体的な加療を要するため、身体診察や血液検査、その他検査で鑑別することが重要になります。
睡眠時無呼吸症候群(SAS)
ここでは閉塞性睡眠時無呼吸(OSA: Obstructive Sleep Apnea)について述べます。睡眠中の上気道の閉塞のため気流制限が生じ、無呼吸や低呼吸が断続的に起こります。このため睡眠の断片化、低酸素血症、高炭酸ガス血症が生じ、起床時の頭痛、日中の眠気、集中力低下、疲労感、倦怠感を引き起こします。うつ病の症状と類似するため、睡眠時の検査による鑑別が重要になります。CPAP療法(持続陽圧呼吸療法)などによる治療を行います。
甲状腺機能低下症(橋本病)
甲状腺ホルモンの不足により、抑うつ、無気力、疲労感、寒がり、体重増加などの症状が生じます。うつ病と類似する症状が多いため、鑑別には血液検査による甲状腺機能検査や抗甲状腺抗体の有無の把握が有用です。
副腎皮質機能低下症
副腎皮質のホルモン分泌が低下すると、抑うつ症状、不安、倦怠感、疲労感、低血圧、食欲低下、吐き気、下痢などが生じます。血液検査でホルモン値を測定することで鑑別が可能です。
女性の更年期障害
エストロゲン(女性ホルモン)値の低下により、抑うつ、不眠、イライラ、疲労感、ほてり、冷え、息切れ、動悸などが生じます。血液検査でホルモン値を測定して判断します。ホルモン補充療法(HRT)や漢方が有効なこともありますが、精神科的アプローチが必要になることもあります。
男性更年期障害(LOH症候群)
テストステロン(男性ホルモン)低下に伴い、抑うつ、気力の減退、集中力の低下、倦怠感、疲労感、不眠、性欲減退、のぼせ、発汗、頭痛、筋肉や関節の痛み、筋力低下などが生じることがあります。40歳代後半から発症します。血液検査でテストステロン値を調べて判断します。漢方薬やテストステロン補充療法(TRT)による治療をおこないます。
認知症
認知症でみられるアパシー(無気力、無関心)、不安、焦燥、引きこもり、倦怠感、不眠、食欲低下がうつ病の症状に似ていて紛らわしいことがあります。
薬剤惹起性うつ病
薬剤惹起性うつ病とは、薬剤の副作用によって抑うつ症状が生じることです。紙面の関係上すべてを挙げるのは困難なのでいくつか例を挙げたいと思います。特に有名な原因薬剤はインターフェロン製剤や副腎皮質ステロイド薬です。この他にも降圧薬(レセルピンやβ遮断薬、カルシウム拮抗薬など)、低用量エストロゲン・プロゲストーゲン配合剤(低用量経口避妊薬)、GnRHアゴニスト、抗エストロゲン薬、抗ヒスタミン薬、抗てんかん薬など様々な薬剤で抑うつ症状が報告されています。以上のように、様々な薬剤が中枢神経の伝達物質やホルモン環境に影響を与えることで抑うつ症状を引き起こし得ることが分かっています。薬剤惹起性うつ病は見逃されやすいですが、新規に薬物治療を開始した後に抑うつ症状が出現した場合、まずはその薬剤の影響を疑うことが重要です。原因と考えられる薬剤の減量や中止によって症状が改善すれば診断の助けになります。身体疾患の病状を考慮すると被疑薬の減量や中止が難しい場合には、抗うつ薬やカウンセリングによる治療が検討されます。
第2章:うつ病の疫学
罹患率・有病率
うつ病は非常にありふれた病気です。世界全体で見ると、うつ病に苦しむ人は推定で約2億8,000万人(人口の約3.8%、成人の約5%)にのぼると報告されています。2015年の推計では世界人口の4.4%がうつ病を抱えていたとのデータもあり、2005年から2015年の10年で18%以上増加したことが示されています。つまり20〜25人に1人がうつ病に該当する計算で、決して珍しい病気ではありません。増加傾向には人口増や高齢化、ストレス社会の影響、診断率の向上など複合的な要因が関与しています。
日本においても近年うつ病患者は増加しています。生涯でうつ病を経験する人の割合(生涯有病率)は日本では約15人に1人(約6〜7%)と推定されています。平成に入って以降、社会の関心が高まったこともあり受診者数も増加しました。厚生労働省が行った患者調査によれば、1996年時点で約43万人だったうつ病、躁うつ病の患者数が、2008年には約104万人と100万人を超え、2017年には127万人に達しています。この数字には外来・入院患者が含まれ、広義の気分障害(双極性障害も含む)ですが、年々患者数が増えてきたことがわかります。
性差・年齢層別の特徴
性別による違いを見ると、うつ病は女性の方が男性よりも高頻度であることが世界的に知られています。WHOも「男性に比べ女性のうつ病患者は約1.5倍~2倍である」と報告しています。日本の患者数統計でも、2017年時点で男性約49万人に対し女性は約78万人と女性患者の方が明らかに多い状況です。女性に多い理由として、ホルモンバランスの変化(月経周期、妊娠・出産、更年期など)や、社会的役割の変化(結婚・出産による生活環境の変化など)によるストレスが挙げられます。特に出産前後に発症するうつ病は女性特有の問題で、世界的には出産女性の10%以上が産後うつを経験するとの報告があります。一方、男性ではうつ病が表面化しにくい(「男らしくあれ」という風潮から相談しづらい)という社会的要因も指摘されており、実際の有病率差は統計以上に小さい可能性もあります。
年齢層については、うつ病は年齢にかかわらず発症しますが、その表れ方や頻度にいくつか特徴があります。初発年齢は20代が最も多い傾向がありますが、思春期から高齢期までどの年代でも発症する可能性があります。例えば高校生や大学生といった若年層でも、成績不振や対人関係の悩みを契機にうつ病を発症する場合があります。特に10代後半から30代前半は発症のピークとされ、社会生活に適応する中でのストレスが誘因となりやすい時期です。また、高齢者のうつ病も重要です。WHOの推計では60歳以上の約5.7%がうつ病を経験しているとされ、高齢期の身体疾患や喪失体験(配偶者との死別など)が誘因となることがあります。
高齢者では物忘れや意欲低下が認知症と間違われることもあり、適切な診断が必要です。さらに、自殺との関連も年齢層を問わず重大な問題です。うつ病は自殺の大きな危険因子であり、世界で毎年70万人以上が自殺で命を落としています。特に15~29歳の若年層では自殺が死因の第4位となっており、この年代の多くの自殺事例にうつ病が関与していると考えられます。日本でも自殺者の相当数がうつ病など気分障害を抱えているとの調査があり、自殺予防の観点からもうつ病の早期発見・治療は重要です。
発症の要因(遺伝・環境・ライフスタイルなど)
なぜうつ病になるのか? その原因は一人ひとり異なり、明確に解明されていない部分もありますが、遺伝的素因と環境的要因が複雑に関与すると考えられています。家族にうつ病の人がいる場合は発症リスクが高まることが統計的に示されており、双子の研究からうつ病の遺伝的要因の寄与(遺伝率)はおよそ40~50%と推定されています。親や兄弟姉妹がうつ病だと一般より2~3倍発症しやすいという報告もあります。しかし遺伝だけで決まるわけではなく、心理社会的なストレスが発症の引き金となることが多いです。
例えば、幼少期の虐待やネグレクトの経験、家族との死別、失業や離婚、病気の罹患などの辛い体験は、将来うつ病になるリスクを高めるとされています。一方で、一見「ポジティブ」な出来事(就職・結婚・出産・昇進・引越しなど)も生活環境が大きく変わるためストレスとなり、うつ病を誘発することがあります。つまり、ネガティブな出来事だけでなくポジティブな出来事であっても、適応の負荷がかかることで心のバランスが崩れることがあるのです。また、性格傾向も発症に影響しうる要因です。
真面目で責任感が強い人、完璧主義の人、周囲に気を遣いすぎる人などは、ストレスを溜め込みやすくうつ病になりやすいという指摘があります。しかし性格要因だけではなく、周囲のサポートやストレス対処法も絡み合うため、一概に「◯◯な性格だからうつ病になる」と言えるものではありません。さらに近年注目されているのは生活習慣とメンタルヘルスの関係です。睡眠不足や昼夜逆転といった不規則な生活、長時間労働や運動不足、孤独、アルコール多飲や薬物乱用などは、うつ病のリスク要因になり得ます。
例えば慢性的な睡眠不足は脳の働きを妨げ感情コントロールを悪化させますし、運動不足や偏った食生活は身体の炎症反応や栄養不足を通じて脳機能に影響するとする研究もあります。またアルコールは一時的に気分が紛れるものの、実際には脳の抑制作用で気分を落ち込ませ、睡眠の質も悪化させます。こうしたライフスタイルの乱れが引き金となり、もともとの素因と相まって発症するケースも少なくありません。
まとめると、遺伝因子(遺伝的なりやすさ)に環境因子(心身のストレスや生活習慣)が重なることで発症リスクが高まると考えられます。反対に言えば、遺伝的素因があってもストレスへの対処法を身につけたり、支援環境があれば発症を防げる可能性もあります。生物学的要因(脳内神経伝達物質やホルモンの変調)も当然関与していますが、それらも遺伝や環境の影響を受けて生じるものです。複合的な要因の結果として脳内のセロトニンやノルアドレナリンといった神経伝達物質のアンバランスや神経回路の機能低下が起こり、うつ病の症状が引き起こされると理解されています。
現在も研究が進められており、「炎症反応の関与」など新たな知見も蓄積されていますが、患者さんにとって重要なのは原因を問いすぎて自分を責めないことです。原因が何であれ、適切な治療と支援によって回復できる可能性があることを覚えておいてください。
第3章:うつ病の仮説
モノアミン仮説
うつ病の古典的な仮説であるモノアミン仮説では、脳内セロトニン、ノルアドレナリン、ドパミンといったモノアミン神経伝達物質の不足が抑うつ症状を引き起こすと考えます。この仮説は、イプロニアジド(モノアミン酸化酵素阻害薬)やイミプラミン(三環系抗うつ薬)がうつ病症状を改善することが判明し、それらの薬理作用(モノアミン量の増加)がうつ病に有効であった事実に基づき提唱されました。
実際、この仮説に沿って選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)やセロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬(SNRI)など多くの抗うつ薬が開発され、現在の治療の中心となっています。しかし、モノアミン仮説だけでは十分に説明できない点も明らかになっています。例えば、抗うつ薬投与後、シナプス間のモノアミン濃度は即座に上昇するにもかかわらず、臨床効果の発現は数週間遅れることが知られており、これは単純なモノアミン不足だけではなく神経回路の適応変化が関与する可能性を示唆します。
また、現在のモノアミン系抗うつ薬による十分な治療効果(寛解)を得られる患者は約30%に過ぎず、多くの患者で部分奏効または無効であることも報告されています。これらの知見から、モノアミン仮説はうつ病の一側面を説明するに過ぎず、より包括的な病態メカニズムの解明が必要と考えられています。
HPA軸仮説(視床下部〔hypothalamic〕-下垂体〔pituitary〕-副腎〔adrenal〕系)
ストレス応答系(HPA軸)の過活動もうつ病の発症に深く関与すると考えられています。慢性的な強いストレスに晒されると、視床下部‐下垂体‐副腎系(HPA軸)が持続的に活性化され、視床下部から放出された副腎皮質刺激ホルモン放出因子(CRH)によって下垂体から副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)の分泌が促進されます。続いて副腎からストレスホルモンであるコルチゾールが過剰に分泌されます。この慢性的なコルチゾール過剰が海馬を中心とした脳構造にダメージを与えることで、抑うつ状態が引き起こされるという仮説です。
実際に、重度のストレス負荷やコルチゾール過剰になるクッシング症候群では高率に抑うつ症状が見られますし、うつ病患者ではデキサメタゾン抑制試験においてコルチゾール分泌が十分抑制されない(コルチゾールの負のフィードバック機能不全)という所見が古くから知られています。このHPA軸フィードバック不全は、慢性的ストレスによる海馬の神経細胞損傷・萎縮と関連していると考えられ、実際うつ病患者の海馬容積縮小が報告されています。以上より、HPA軸の過剰な活性化とそれによる高コルチゾール状態が神経可塑性を障害し、うつ病の病態形成に寄与するとの仮説が支持されています。現在のところ、HPA軸そのものを直接標的とした治療法の有効性は明確ではありませんが、将来的に抗うつ薬開発のターゲットになりうると考えられています。
神経可塑性・BDNF仮説
うつ病では脳の神経可塑性(ニューロンの形態やシナプス結合の変化能力)の低下が起きているという仮説です。その中心的な分子として注目されているのが脳由来神経栄養因子(BDNF)で、これはニューロンの生存・成長やシナプス可塑性を促す神経栄養因子です。
BDNF仮説では、ストレスなど環境要因により脳内特に海馬のBDNF発現が低下し、それによって海馬の神経細胞が萎縮したり新生が減少することで、うつ病の病態が生じると考えます。実際の研究知見もこの仮説を支持しています。まずうつ病の原因となり得る慢性ストレス負荷により、海馬でのBDNF発現が著しく減少することが動物実験で示されています。
ストレスでBDNFが減少すると海馬の神経細胞の樹状突起が縮小し、神経新生も抑制されるため、ストレス暴露が続くと気分障害の一因になると考えられます。 抗うつ薬の作用機序とも関連し、抗うつ薬を長期間投与したラットではストレスによる海馬BDNF低下が緩和されることが報告されています。さらに抗うつ薬投与により脳内BDNF発現量が上昇しますが、その増加は投与直後ではなく約3週間後に確認されており、抗うつ薬の遅効性をBDNF増加によって説明できる可能性があります。
ヒト臨床研究においてもうつ病患者のBDNF低下が示唆されています。具体的には、うつ病患者の血清中BDNF濃度は健常者より有意に低く、その値は症状の重症度と負の相関を示すこと(低いほど重症)、また有効な抗うつ薬治療により血中BDNFが上昇することが報告されています。このため、BDNFはうつ病のバイオマーカー(客観的指標)になる可能性が期待されるとともに、BDNFを増加させ神経可塑性を回復することが抗うつ治療の鍵ではないかと考えられています。
炎症仮説
近年、うつ病における免疫系の異常や慢性炎症の関与にも注目が集まっています。脳内炎症仮説では、ストレスなどにより誘導された慢性的な炎症反応が脳に悪影響を及ぼし、抑うつ状態を引き起こすと考えられています。いくつかの知見がこの仮説を支持しています。まず一つ目が炎症と抑うつ症状の関連です。
原疾患の治療でインターフェロンなどサイトカイン製剤を投与された患者に高頻度でうつ症状が出現することや、うつ病患者では血中の炎症性サイトカイン(IL-6やTNF-αなど)や炎症マーカー(CRPなど)の基準値超えが健常者に比べ多いことが報告されています。これらの知見は、炎症反応が抑うつ症状を誘発しうることを示唆します。 慢性炎症下では放出されたサイトカインが脳内で種々の悪影響を及ぼすと考えられます。
具体的には、IL-6やTNF-αといったサイトカインが神経新生の低下や前述のHPA軸のフィードバック障害を引き起こし、その結果うつ病が発症・増悪すると考えられています。さらに、炎症性サイトカインはトリプトファン代謝経路を変化させ、セロトニンの原料であるトリプトファンをキヌレニン経路へ過剰に誘導するため、トリプトファンから合成されるセロトニン量が低下することで血中・脳内セロトニン濃度の低下(モノアミン仮説でいう神経伝達物質不足)にも寄与しうると指摘されています。
このように炎症は多面的にモノアミン系や神経可塑性に影響を与え、抑うつ状態を招く可能性があります。 炎症仮説に基づき、抗炎症作用をもつ薬剤をうつ病治療に応用する試みも進んでいます。例えばNSAIDs(非ステロイド性抗炎症薬)やサイトカイン阻害薬(抗TNF-α抗体など)を抗うつ薬に併用する臨床研究が行われており、最新のメタアナリシスでは抗炎症薬全体にプラセボを上回る有意な抗うつ効果が認められたとの報告があります。ただし効果は患者の炎症状態によって異なる可能性があり、最適な使用方法や対象群を明らかにするため今後の研究が必要です。
グルタミン酸仮説
モノアミンに次ぐ新たな神経伝達物質仮説として、グルタミン酸(脳内の主たる興奮性神経伝達物質)の機能異常がうつ病に関与するという考え方があります。うつ病患者の脳を調べた研究では、シナプスでのグルタミン酸濃度や代謝物(グルタミン)の低下が前頭皮質で見られたり、グルタミン酸の取り込みに関与するグリア細胞の異常が示唆されるなど、グルタミン酸作動性システムの機能不全を示す報告が蓄積しています。
特に注目されるのは、ケタミン(グルタミン酸のNMDA受容体拮抗薬)の抗うつ効果です。難治性うつ病に対しケタミン少量静注が通常の抗うつ薬よりもはるかに速やか(数時間〜1日以内)に抑うつ症状を改善することが判明し、この「通常より格段に速い抗うつ効果」はグルタミン酸経路がうつ病の病態に関与している明白な証拠とされています。ケタミンの作用機序としては、一過性にグルタミン酸放出を増加させシナプス可塑性を回復すること(BDNFの急速な増加を伴う)が示唆されており、これらの知見からNMDA受容体やAMPA受容体などグルタミン酸関連経路を標的とする新規抗うつ薬の開発が活発化しています。
なお、グルタミン酸仮説では一部の抑うつ状態で興奮毒性(グルタミン酸過剰による神経傷害)が生じている可能性と、逆に慢性的ストレスでグルタミン酸機能低下が起こり神経ネットワーク効率が落ちている可能性の両方が議論されています。いずれにせよ、グルタミン酸系のバランス破綻がうつ病の症状発現に影響しうるという点で研究者の関心が高まっています。
腸内細菌仮説
脳と腸は相互に密接な影響を及ぼし合っており、腸脳相関(gut–brain axis)を通じて腸内環境が精神状態に影響することが分かってきました。近年の研究では、腸内細菌叢の組成変化とうつ病発症リスクとの関連が示唆されています。実際、うつ病患者の腸内細菌叢を健常者と比較すると特定の細菌種の不足・過剰など特徴的な変化(いくつかの炎症誘発菌の増加や短鎖脂肪酸産生菌の減少など)が報告されており、うつ病患者の便中には健常者には見られない微生物学的マーカーが存在することが明らかになっています。
腸内細菌は迷走神経を介した神経シグナル伝達、免疫調節、トリプトファン代謝、あるいは短鎖脂肪酸などの代謝産物産生を通じて脳機能に影響を及ぼすため、腸内環境の乱れは神経伝達や炎症状態を変化させ、結果的に気分にも影響を及ぼしうると考えられます。こうした知見から、腸内フローラを標的とした新たな治療(プロバイオティクスの摂取や食事療法、便微生物移植など)も模索されています。
実際、プロバイオティクスを日常的に摂取している群ではうつ病発症リスクが有意に低いとの疫学データや、ある種のプロバイオティクス製剤が軽症~中等症うつ病の症状を改善したとの臨床報告もあり、腸内細菌叢の改善が抗うつ効果をもたらす可能性が示されています。もっともこの分野は研究途上であり、どの菌種が抑うつ症状に良いあるいは悪い影響を与えるのか、個人差も大きいため、今後さらなる解明が必要です。
エピジェネティクス仮説
エピジェネティクスとはDNAの塩基配列を変化させずに遺伝子発現を調節する仕組みで、代表的なものにDNAメチル化やヒストン修飾があります。環境要因(幼少期の逆境体験や慢性ストレスなど)がエピジェネティックな変化を通じて脳内の遺伝子発現パターンを変化させ、それがうつ病の発症リスクを高める可能性が指摘されています。
例えば、幼少時虐待など強いストレスを受けた人ではグルココルチコイド受容体遺伝子(NR3C1)のプロモーター領域でDNAの過剰メチル化(高メチル化)が検出されることがあり、うつ病患者でもこのNR3C1遺伝子のエピジェネティック修飾異常が確認されています。NR3C1のメチル化が高いとストレス応答のフィードバック抑制に必要なグルココルチコイド受容体の発現低下・機能不全を招き、その結果としてHPA軸の過活動(高コルチゾール持続)を引き起こすと考えられます。
また、動物実験では慢性ストレス負荷により海馬のBDNF遺伝子にメチル化が増えて発現低下が生じることが示されており、人間のうつ病患者やストレス関連症状を持つ人の血液検体でもBDNF遺伝子領域の異常なメチル化が確認されています。このようにエピジェネティックな変化がストレスと遺伝要因の架け橋となってうつ病発症に寄与する可能性があり、将来的には特定のエピジェネティック修飾を標的とする治療も研究されるかもしれません。
第4章:うつ病の治療方法
薬物療法
うつ病に対する治療の中心の一つが抗うつ薬による薬物療法です。抗うつ薬は脳内の神経伝達物質(セロトニンやノルアドレナリン等)の働きを調整することで、抑うつ症状を改善させます。現在使われる抗うつ薬にはいくつかの種類があり、それぞれ作用の仕方や副作用の特徴が異なります。ここでは代表的な抗うつ薬の種類と特徴について説明します。
SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)
現在広く用いられるタイプの抗うつ薬です。セロトニン作動性神経(セロトニンを放出する神経)のセロトニントランスポーターに選択的に作用します。セロトニンの再取り込みを阻害することで脳内のセロトニンを増やすことで効果を発揮します。セロトニンは「幸せホルモン」とも呼ばれる神経伝達物質で、気分や不安の調整に関与します。SSRIにはセルトラリン(ジェイゾロフト)、エスシタロプラム(レクサプロ)、パロキセチン(パキシル)、フルボキサミン(ルボックス / デプロメール)があり、いずれも効果はほぼ同等とされています。古典的な抗うつ薬に比べ副作用が少なく安全性が高いとされます。主な副作用は吐き気、下痢、食欲低下、浮動性めまい、眠気、口渇、頭痛、動悸、性機能障害などです。
S-RIM(Serotonin reuptake inhibitor and serotonin modulator)
新しいタイプの抗うつ薬です。ボルチオキセチン(トリンテリックス)がこれにあたります。セロトニン再取り込み阻害作用とセロトニン受容体調節作用を有しています。まずセロトニン再取り込み阻害作用ですが、セロトニントランスポーターに高い親和性で結合し、その再取り込みを阻害することでシナプス間隙のセロトニン濃度を増加させます。こちらの作用はSSRIと同じです。
次にセロトニン受容体調節作用ですがセロトニン5-HT1D、セロトニン5-HT3、セロトニン5-HT7受容体遮断作用とセロトニン5-HT1A受容体刺激作用、及びセロトニン5-HT1B部分アゴニスト作用を有します。ボルチオキセチン(トリンテリックス)のこのような多面的作用機序が実際の抗うつ効果にどの程度寄与しているかはまだ完全には解明されていません。しかし、セロトニン再取り込み阻害による効果に加え、種々の受容体調節作用が付加的に抗うつ作用(特に不安の軽減や認知機能への影響など)をもたらす可能性が示唆されています。
ボルチオキセチン(トリンテリックス)の副作用は従来のSSRIと概ね類似しています。消化器症状(吐き気、便秘、下痢)、頭痛、めまい、眠気、口喝、性機能障害などがみられることがあります。
SNRI(セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬)
セロトニン作動性神経におけるセロトニントランスポーター及びノルアドレナリン作動性神経におけるノルアドレナリントランスポーターを阻害することにより脳内のセロトニン、ノルアドレナリンの量を増やすことで効果を発揮する抗うつ薬です。
デュロキセチン(サインバルタ)、ベンラファキシン(イフェクサー)、ミルナシプラン(トレドミン)がこれにあたります。SNRIはSSRIと作用機序が一部似ていますが、ノルアドレナリン系にも作用するため意欲や集中力の改善にも有用とされます。その反面、血圧上昇や頻脈などノルアドレナリン作用に関連する副作用がSSRIで出る副作用に加えて出現する可能性があります。また下行性疼痛抑制系を賦活することで鎮痛作用も有すると考えられております。
NaSSA(ノルアドレナリン作動性・特異的セロトニン作動性抗うつ薬)
日本で使われているNaSSAとしてはミルタザピン(リフレックス / レメロン)がこのカテゴリーに当てはまります。作用機序はノルアドレナリン作動性神経において、シナプス前ニューロンにあるα2アドレナリン自己受容体を阻害します。
この作用によりノルアドレナリン遊離が促進されます。またセロトニン作動性神経において、アドレナリンα2ヘテロ受容体を阻害します。この作用によりセロトニン遊離が促進されます。NaSSAは前述のノルアドレナリン及びセロトニン遊離を促進する作用に加えてセロトニン作動性神経のシナプス後ニューロンにも作用します。
セロトニン5-HT2A/2C受容体、セロトニン5-HT3受容体を阻害することで、放出されたセロトニンが抗うつ作用に関わるセロトニン5-HT1A受容体に相対的に作用しやすくなります。
セロトニン5-HT2A/2C受容体は性機能、セロトニン5-HT3受容体は消化器症状に関わっているため、SSRIでよく見られる性機能障害や消化器症状の副作用は少ないです。一方ヒスタミンH1受容体阻害作用も有するため眠気、食欲増進の副作用が見られることがあります。うつ病の症状で不眠、食欲低下はよく見られるため、裏を返せばこれらの症状を緩和してくれることもあります。
SARI(Serotonin Antagonist and Reuptake Inhibitor)
トラゾドン(レスリン / デジレル)がこのカテゴリーに含まれます。作用機序としては、セロトニン5-HT2A受容体を強力に遮断し、セロトニン5-HT2C受容体も阻害します。これによりセロトニン神経伝達の質を変化させ、不安や不眠の軽減に寄与します。
抗うつ薬による性機能障害はセロトニン5-HT2A受容体刺激が一因とされますが、トラゾドンはむしろそれを遮断するため性機能障害が少ないと考えられます。またセロトニントランスポーターの阻害作用を発揮し、シナプス間隙のセロトニン濃度を上昇させます。ただしこの作用はSSRIに比べ弱く、臨床的な抗うつ効果を得るには一定以上の高用量投与が必要です。その他の作用としてトラゾドンはヒスタミンH1受容体及びα1/α2アドレナリン受容体も遮断します。ヒスタミンH1受容体遮断により鎮静作用(眠気)を示し、α1アドレナリン受容体遮断により血圧低下作用、起立性低血圧(立ちくらみ)の副作用を示すことがあります。α2アドレナリン受容体遮断作用もあるためノルアドレナリン放出を促進し得ますが、臨床的意義は明確でありません。
前述のようにトラゾドンは低用量と高用量で作用様式が異なる点が重要です。低用量(<150mg/日程度)ではセロトニントランスポーター阻害作用が不十分なため抗うつ効果は弱く、代わりにセロトニン5-HT2受容体遮断やヒスタミンH1受容体遮断による鎮静効果が前面に出ます。このため不眠症状のあるうつ病患者への睡眠改善目的や、他の抗うつ薬と併用して睡眠の質を改善する目的で低用量トラゾドンが用いられることがあります。一方、抗うつ効果を得るには150〜300mg/日以上の高用量が必要ですが、そもそも日本では200㎎/日が保険適用の最大量となっています。
高容量になると前述の鎮静(強い眠気)や血圧低下、立ちくらみなど副作用も増強されてしまいます。このためトラゾドンは高用量投与では忍容性の問題から抗うつ薬として使いにくく、むしろ低用量の睡眠改善目的用途が主体となっています。
三環系抗うつ薬(TCA)
化学構造に3つの環があるためこのように呼ばれています。古くから使われてきた抗うつ薬で、アミトリプチリン(トリプタノール)、クロミプラミン(アナフラニール)、イミプラミン(トフラニール)、アモキサピン(アモキサン)、ノルトリプチリン(ノリトレン)、トリミプラミン(スルモンチール)、ロフェプラミン(アンプリット)、ドスレピン(プロチアデン)があります。
作用機序としてはセロトニン作動性神経、ノルアドレナリン作動性神経のシナプス前ニューロンにあるセロトニントランスポーター、ノルアドレナリントランスポーターによる再取り込みを阻害することでシナプス間隙のセロトニン、ノルアドレナリンを増加させるというものです。これだけを聞くとSSRIやSNRIに似ていますが、その他の様々な受容体にも作用してしまうため副作用も多いです。典型的な副作用としては末梢性の抗コリン作用(口渇、便秘排尿障害、鼻閉、市調節障害)に加えて、高齢者の使用においては中枢性の抗コリン副作用(せん妄、認知機能の悪化等)にも留意すべきです。
また抗ヒスタミンH1作用(眠気、食欲増進)やα1アドレナリン受容体遮断(起立性低血圧、立ちくらみ)などの副作用も現れることがあります。治療域と中毒域が近く過量服用時に致死的となり得る点も扱いに注意が必要です。現在では副作用の少ない新しい薬が優先されるため、三環系抗うつ薬(TCA)が第一選択となることは減りましたが、他の薬で十分な効果が得られない難治性のケースで使用されることがあります。
四環系抗うつ薬
化学構造に4つの環があるためこのように呼ばれています。ミアンセリン(テトラミド)、セチプチリン(テシプール)、マプロチリン(ルジオミール)が属します。
ミアンセリン(テトラミド)、セチプチリン(テシプール)はノルアドレナリン作動性神経において、シナプス前α2アドレナリン自己受容体を阻害することでノルアドレナリンの放出を促進することによって抗うつ作用を示すと考えられています。マプロチリン(ルジオミール)はノルアドレナリン作動性神経における、ノルアドレナリントランスポーターによる再取り込みを阻害することでシナプス間隙のノルアドレナリンを増加させるという機序で抗うつ作用を示します。
四環系抗うつ薬の副作用は抗ヒスタミンH1作用による眠気などやα1アドレナリン受容体遮断作用である血圧低下、起立性低血圧(立ちくらみ)などが挙げられます。また三環系抗うつ薬(TCA)ほど強くないものの抗コリン作用(口喝、便秘など)も有します。
セロトニン症候群
セロトニン症候群は抗うつ薬使用中に起きる可能性のある副作用で、中枢および末梢神経系でセロトニンが過剰に作用することによって生じます。通常、神経終末から放出されたセロトニンはシナプス間隙でセロトニン5-HT受容体に結合した後、再取り込みや代謝により濃度が調整されます。しかし何らかの要因でシナプス間隙のセロトニン濃度が病的に上昇すると、各受容体サブタイプを介して過剰な刺激が生じます。
セロトニン症候群の典型的な誘因は、セロトニン作動薬の使用や相互作用です。選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)やセロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬(SNRI)、三環系抗うつ薬(TCA)などの抗うつ薬やモノアミン酸化酵素阻害薬(MAO阻害薬)をはじめ、オピオイド鎮痛薬(トラマドール、フェンタニルなど)、合成麻薬(MDMA、LSDなど)、鎮咳薬(デキストロメトルファン)、抗菌薬(MAO阻害作用を持つリネゾリドや、抗HIV薬の一部)、制吐薬(オンダンセトロンなど5-HT₃受容体拮抗薬)、ハーブ(セントジョーンズワート)など多彩な物質がリスクとなります。特に異なる機序の薬剤の併用は相乗的にセロトニン濃度を高め、セロトニン症候群発症の危険性が高まります。また過量服薬でも発症します。
セロトニン症候群では中枢および末梢のセロトニン5-HT受容体が過度に刺激されて三主徴(自律神経症状、神経筋症状、精神症状)が現れます。視床下部や延髄のセロトニン5-HT2A受容体刺激は発熱や血圧・心拍数の異常を招き、交感神経過活動を通じて発汗過多、血圧上昇、頻脈などの自律神経症状を引き起こします。消化管のセロトニン受容体刺激も亢進するため、しばしば悪心・嘔吐、下痢など消化器症状も伴います。脊髄や脳幹の介在ニューロンにおけるセロトニン過剰刺激は錐体外路系の興奮を促し、振戦やミオクローヌス、腱反射亢進といった神経筋症状を生じます。一方、大脳皮質や辺縁系への作用により精神機能が撹乱され、軽度の不安・不穏から重度の錯乱、昏睡に至る精神症状が発現します。症状出現までの時間は比較的急性であり、誘因薬剤の容量変更や開始後数時間以内(30%は1時間以内、60%は6時間以内)に発症することが多い点も特徴です。
セロトニン症候群の診断は臨床的におこないます。いくつか診断基準が提唱されていますが、現在広く用いられているのがHunter Serotonin Toxicity Criteriaです。感度84%、特異度97%と報告されています。Hunter Serotonin Toxicity Criteriaでは、「セロトニン作動薬の使用歴」を前提に、以下のいずれか1つでも満たせばセロトニン症候群と診断します。
- 自発性クローヌス
- 誘発性クローヌスに加えて、不安・焦燥感または発汗
- 眼球クローヌスに加えて、不安・焦燥感または発汗
- 振戦と腱反射亢進の併存
- 高体温(>38℃)かつ筋強剛に加えて、眼球クローヌスまたは誘発性クローヌス
セロトニン症候群が疑われた場合、速やかに被疑薬のセロトニン作動薬を中止することが第一です。その上で症状の重症度に応じた支持療法を行います。中等症以上ではシプロヘプタジン(ペリアクチン)を使用することがあります。シプロヘプタジン(ペリアクチン)は第一世代抗ヒスタミンH1受容体拮抗薬ですが、同時に非選択的セロトニン5-HT1A/2A受容体拮抗作用を持ち、過剰なセロトニン刺激を遮断することで症状改善が期待できます。また鎮静や筋弛緩の目的でベンゾジアゼピン系薬も使用されることがあります。
薬物療法の継続期間
抗うつ薬の作用は飲み始めてすぐには実感できず、通常2週間~4週間程度継続してようやく気分の改善が見られ始めます。効果判定には最低でも4~6週間は必要と言われます。十分な効果が得られ寛解(症状がほぼ無く正常化した状態)に達した場合でも、すぐに薬を中止せず一定期間継続することが推奨されます。
初発のうつ病では少なくとも改善後6か月~1年は同じ量で薬を飲み続け、その後徐々に減薬するのが一般的です。これは再発を防ぐためで、治療を急にやめると再発率が高まることが知られています。寛解(症状がほぼ無く正常化した状態)後 26 週は抗うつ薬継続による症状再燃予防効果が示されており、 欧米のガイドラインは、初発うつ病の寛解後 4~9 ヵ月、またはそれ以上の期間、急性期と同 用量で維持すべきとしています。再発を繰り返している場合、抗うつ薬を 1~ 3年間急性期と同用量で継続使用した場合の再発予防効果が立証されています。また再発例では 2 年以上にわたる抗うつ薬の維持療法が強く勧められるという報告もあります。したがって「良くなったからもう薬は不要」と自己判断で中断せず、医師と相談しながら計画的に治療を終結させることが重要です。
離脱症状
抗うつ薬を長期間服用していると中止時に離脱症状が出る場合があります。一般に6週間以上抗うつ薬を連続服用していた人が急に断薬すると、約20%程度の患者に離脱症状が出現すると報告されています。自己判断で断薬せず、徐々に減らす方法で中止することで離脱症状は予防できることが多いです。
離脱症状としては次のようなものがあります。いわゆる「シャンビリ感」というシャンシャンという耳鳴りとビリビリと電気が走るようなしびれが有名です。その他インフルエンザにかかった時のような症状(倦怠感、発熱感、悪寒、筋肉痛)、めまい、消化器症状(嘔気、腹部不快感、下痢)などがみられます。
多くの場合離脱症状は軽度で1~2週間ほどで自然焼失しますが、患者によっては症状が非常に強く出て日常生活に支障をきたすこともあります。抗うつ薬の服用期間が長いほど、また薬剤の半減期が短いほど離脱症状は起こりやすい傾向があります。
心理療法
うつ病の治療では心理的アプローチも大変重要です。特に、軽症から中等症のうつ病では薬物療法に匹敵する効果があることが示されています。また、薬物療法と組み合わせることで相乗効果が得られ再発予防にも有用です。ここでは代表的な精神療法を紹介します。
認知行動療法(CBT)
うつ病に対する心理療法の中で最もエビデンスが確立されている方法です。認知行動療法(CBT)では、まず患者さん自身が「考え方の癖」に気づき、それが感情や行動にどのような影響を与えているかを一緒に検討します。
例えば「自分は価値がない」「物事はどうせうまくいかない」といった否定的な自動思考がうつ病では生じがちですが、治療者との対話や課題(宿題)を通してそうした考えの偏りを修正していきます。
また、気分が落ち込むと活動が減りがちになるため、あえて少しずつ行動を増やす「行動活性化」という技法も用いられます。認知行動療法(CBT)は通常、週1回程度のセッションを数か月続ける形で行われ、患者さん自身が課題に取り組む積極的な参加が求められます。その効果は多数の研究で支持されており、薬物療法と並ぶ第一選択治療とされています。治療が一通り終わった後も、学んだスキルを用いて再発の予防に役立てることができます。
対人関係療法(IPT)
うつ病の発症・悪化に対人関係上のストレスが深く関与しているという考えに基づく療法です。対人関係療法(IPT)では患者さんの現在の人間関係の問題(例:配偶者との不和、職場での役割葛藤、愛する人の死への適応など)に焦点を当て、それらを改善・適応するためのスキルを身につけます。具体的には、コミュニケーションの取り方を見直したり、問題状況への対処法を一緒に模索します。対人関係療法(IPT)は限られた期間(12~16週間程度)で行う短期療法で、明確な問題領域に絞って進めるのが特徴です。
うつ病エピソードの寛解を目指すだけでなく、対人関係の改善によって将来的なストレス耐性を高める効果も期待できます。研究では対人関係療法(IPT)がうつ病の急性期治療に有効であるだけでなく、新たなエピソードの発症予防や再発防止にも有用であることが示されています。特に、喪失体験から立ち直れずにいるケースや、育児や介護など孤立しがちな状況でのうつ病に適しているとされています。
これら以外にも、様々なアプローチがありますので、患者さんのニーズや性格に応じて適した治療法が選択されます。軽症の場合は薬を使わず精神療法だけで寛解することもあり、逆に重症で思考力が著しく低下している場合はまず薬で症状をある程度和らげてから心理療法を併用する、といった形がとられます。
反復経頭蓋磁気刺激療法(rTMS)
反復経頭蓋磁気刺激療法(rTMS:repetitive Transcranial Magnetic Stimulation)は、近年注目されるようになった脳刺激による新しい治療法です。頭部に電磁コイルを当て、磁場の変化によって脳内に微弱な電流を発生させ、特定の脳部位を刺激します。非侵襲的(手術などを要しない)な手法であり、磁気を用いるため身体への負担は小さいとされています。
うつ病の患者さんでは、脳の前頭前野(特に左側の背外側前頭前野)の活動低下が見られることが知られており、TMSはこの部位を刺激して脳の働きを正常化させる狙いがあります。具体的な手順としては、患者は椅子に座った状態でコイルを頭皮に当て、磁気パルスを繰り返し受けます。その刺激は神経細胞を活性化し、神経回路の可塑性変化を促すと考えられています。
TMS治療の効果は、1990年代から海外で研究が進み、1993年頃には既に「うつ病に有効である」との報告がなされています。その後、大規模臨床試験で有効性と安全性が確認され、米国では2008年にTMS治療機器がうつ病治療としてFDA承認されました。日本でも2017年に医療機器承認され、2019年6月から「抗うつ薬による十分な治療効果が得られない難治性のうつ病」に対して保険適用が認められています。現在、国内外で薬物治療抵抗性のうつ病に対する治療法として正式に承認され、利用が広がりつつあります。
TMSは副作用が少なく安全に実施できる点も利点で、施術中に感じる頭皮の軽い痛みや頭痛が主な副作用です。重大な副作用としてけいれんのリスクがごく僅かにありますが、適切な手順で行えば極めてまれです。
治療抵抗性うつ病(複数の抗うつ薬を試しても効果がなかったケース)の新たな選択肢として期待されています。「薬かカウンセリングしかなかった」うつ病治療において第三のアプローチとして注目されています。TMS治療の実施施設はまだ限られていますが、大学病院や専門クリニックを中心に導入が進んでいます。保険適用の場合は入院治療が前提となるなど制約もありますが、短時間で済み、身体への負担が軽いことから通院しながら受けられる先進治療として普及が期待されています。
修正型電気けいれん療法(mECT:modified Electro Convulsive Therapy)
なお、同じ脳刺激療法でも修正型電気痙攣療法(mECT)は以前からある伝統的治療法です。全身麻酔下で電気刺激により脳に短い痙攣発作を誘発し、重症のうつ病に劇的な効果をもたらすことがあります。ただし麻酔や入院を要し、一過性の記憶障害など副作用もあるため、現在は主に命に関わる深刻な状態のうつ病(自殺リスクが高い場合など)に限り行われます。