強迫性障害
はじめに
強迫性障害(OCD:Obsessive-Compulsive Disorder)は決して珍しい疾患ではなく、生涯有病率は約2〜3%にも及ぶと報告されています。つまり、日本でも100人に2〜3人は生涯のどこかでOCDを経験する計算になり、誰にとっても他人事ではありません。強い不安や恐怖を引き起こす「強迫観念」と、それを打ち消すために繰り返さずにはいられない「強迫行為」によって、日常生活に大きな支障をきたす病気です。強迫性障害(OCD)は本人の意志の弱さではなく脳の働きによるれっきとした精神疾患です。症状が重い場合、仕事や学業、人間関係にも深刻な影響を及ぼし、患者さんは大きな苦痛を抱えます。それにも関わらず、恥ずかしさや誤解から症状を隠してしまい、適切な治療にたどり着くまでに何年も苦しむケースもあります。
主な症状
強迫性障害(OCD)とは、不安を伴う執拗な考えやイメージが頭から離れなくなる「強迫観念」と、その不安を和らげるために何度も繰り返してしまう「強迫行為」を特徴とする精神疾患です。この二つが組み合わさり、患者さんは「不合理だと分かっていても、どうしてもやめられない」状態に陥ります。例えば、「手についた微生物で感染症になるのでは」という考え(強迫観念)が頭を離れず、何時間も手洗いを繰り返してしまう(強迫行為)ケースがあります。
他にも、戸締まりや火の元が心配で何度も確認する、大切な人が事故に遭う悪いイメージが浮かび、そのイメージを打ち消すために特定の儀式行為を行う、物の配置が完璧でないと落ち着かず延々と並べ直す、不吉な数字を避けるために特定の回数まで数える等、症状の現れ方は様々です。ポイントは、それらの考えや行動が本人にとって望ましくないにもかかわらず、強い不安感によって駆り立てられてしまうことです。「強迫観念」とは、繰り返し頭に浮かんでくる不快な考え・イメージ・衝動のことです。それ自体に現実的な根拠は乏しく、本人も「ばかげている」と感じますが、どうしても考えを無視できず強い不安や嫌悪感が生じます。代表的な強迫観念には、「汚染や病気への恐怖」「自分や他人に危害を加えてしまう恐れ」「宗教的・道徳的に許されない考え」などがあります。「強迫行為」とは、強迫観念による不安を打ち消すために繰り返してしまう行動や心の中の行為のことです。具体的には「確認」「洗浄」「数唱」「整列」などの行為が典型です。強迫行為は一時的に不安を軽減するために行われますが、その安心は長続きせず、すぐにまた不安がぶり返して再び行為を行うという悪循環に陥ります。そのため、患者さんは1日の大半を強迫観念と強迫行為に費やしてしまうこともあります。
症状の具体例
実際の症状をイメージしやすいよう、典型的なエピソードを紹介します。ある40代の男性は、「車で人をひいてしまったのではないか?」という考えが頭に浮かぶようになりました。一度その考えが浮かぶと強烈な不安に襲われ、仕事中でも居ても立っても居られなくなります。彼は何度も車で通った道を引き返して現場を確認せずにはいられませんでした。しかし確認しても安心できるのは束の間で、すぐに「見落としがあったのでは?」という疑念が湧き、再び確認を繰り返してしまいます。
このように、「~したのではないか?」という強迫観念(加害恐怖)と、それを打ち消すための強迫行為(再確認)の連鎖により、彼は日常生活に大きな支障を来たしていました。これは強迫性障害(OCD)の一例ですが、患者さんによって内容は多岐にわたります。共通しているのは、その不安が現実的な度合いを大きく超えて過剰である点と、不安を打ち消す行為が過剰または不合理である点です。
治療法
強迫性障害は適切な治療によって改善が期待できる疾患です。治療の柱は薬物療法と心理療法(精神療法)であり、多くの場合この二本柱を組み合わせます。
薬物療法
不安を和らげ脳内の神経伝達物質のバランスを整える目的で抗うつ薬を使用することが多いです。現在、強迫性障害(OCD)の薬物療法で第一選択となるのは選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)と呼ばれるタイプの抗うつ薬です。SSRIは脳内のセロトニンを増やす薬で、うつ病や不安障害にも広く使われていますが、強迫性障害(OCD)にも高い有効性が認められています。ただし、即効性はなく効果が現れるまでに少し時間がかかります。目安としては服用開始後2〜4週間くらいから徐々に効果が出始めます。強迫性障害(OCD)に用いるSSRIの用量は、うつ病などで使うより高めになる傾向があります。これは、強迫性障害(OCD)の症状改善には比較的高濃度のセロトニン調節が必要とされるためです。副作用としては、吐き気、食欲不振、下痢など消化器症状や、めまい、性機能障害、口喝、発汗などが見られることがあります。それでも総じてSSRIは安全性と忍容性(副作用への耐えやすさ)の面で優れているため、長期的な治療にも適しており、治療に選択されることが多いです。効果が安定し症状が軽快した後も、再発予防のため少なくとも1〜2年程度は服用継続が推奨されています。勝手に中止すると症状が再燃しやすいため、減薬・中止は必ず主治医と相談しながら慎重に行います。SSRIが副作用で使えない場合や効果が乏しい場合は別のタイプの抗うつ薬や少量の抗精神病薬を使用する場合もあります。
認知行動療法(CBT)と曝露反応妨害法
強迫性障害に最も効果が証明されている心理療法は、認知行動療法(CBT)です。なかでも、曝露療法と反応妨害を組み合わせた曝露反応妨害法が治療の核となります。曝露反応妨害法は、簡単に言えば「不安を引き起こす状況にあえて直面し(曝露)、それに伴う強迫行為を意図的に行わずに我慢する(反応妨害)」ことを繰り返し練習する方法です。例えば不潔恐怖で手洗いがやめられない患者さんには、敢えて「汚れる」課題(電車の吊り革を素手で持つ等)に挑戦してもらい、その後すぐには手を洗わず一定時間耐えてもらいます。当初は強い不安が生じますが、やがてその不安は自然に収まっていく(人間の不安はピークを超えると必ず下がっていく)ことを体感し、「手を洗わなくても大丈夫だった」という新たな学習が得られます。この「曝露→不安の山を乗り越える→強迫行為をしなくても平気になる」というプロセスを少しずつレベルを上げながら繰り返すのが曝露反応妨害法です。曝露反応妨害法は強迫性障害に対する心理療法でもっとも確立された技法であり、その効果は数多くの研究で実証されています。